2019.6.27更新終了しました。
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いとこ

近所に大きなこいのぼりが泳いでいます。

それを見て、今は疎遠になったいとこたちを思い出しました。

 

祖父母も両親もきょうだいが多く、親戚は多い家でした。

特に父方の親族はみんな仲がよかったので、なにかと集まってはわいわいお酒を飲みます。

そういう日の子供たちは、隣の座敷で仲良く遊ぶことを命じられるのが常でした。

 

父方は社交的な血筋なので、子供たちも社交的です。

年上のいとこたちはとても器用で、あまり話さない私にもしきりに構ってくれます。

学校の友達とも違うその存在は、距離感に迷うものの憧れでした。

 

対して、母方のいとこたちはおとなしい子が多かったです。

とは言っても、私よりは器用に立ち回って、上手に話をしていたように思います。

 

先にも書いたように、私はいとことの距離感が掴めませんでした。

年上だからといって敬語を使えばよそよそしいし、友達ではないので軽く話しかけるのも気がひける…

いとこの中にも序列(この言い方が正しいのかわかりませんが)があって、本家の子は本家の子として扱われるので、余計に混乱しました。

 

ただ、特に不幸があったとき、深刻な話し合いをする大人から離れて子供同士身を寄せ合っていると小さな安心感を覚えました。

子供心に重い雰囲気はプレッシャーでしたが、それはどの子も同じで、緊張を紛らわすためにヒソヒソと話をしたことを覚えています。

 

中学、高校と進むと、いよいよ曖昧な距離感のミゾが深くなりました。

会うたびに大人っぽくなるいとこたちを前に、私はガチガチの敬語。

思春期ですから、みんな同じようによそよそしい感じ。

私たちは小さな子供ではなくなってしまいました。

 

大人になると、人付き合いの姿勢も成長しますよね。

敬語でもなく、かといって親し気でもなく、”普通に”言葉を交わすようになりました。

はたから見れば、すごく自然ないとこ同士の会話に見えると思います。

でも、子供のときほど素直な気持ちではありません。

 

祖父母や両親にかわって、かつて座敷で遊んでいた子供たちが深刻な話をしています。

よっちゃん(仮名)はおじさんになったけど、みっちゃんは結婚して太ったな。

ほうれい線と目元のシワが気になる私は、記憶の中にあるいとこたちの面影を探していました。

 

疎遠といっても何事かがあったわけではなくて、特に用がないから会わないだけです。

用ができて、仕方なしに手土産を持って誰かに会いに行くときには、いとこたちの子供に理由なきおこずかいをあげることにしています。

 

「いつも悪いね」

「たまにしか会わないから」

「おばちゃん、ありがとう」

数年に一度のことですが、私が知っているいとこに似た子供におばちゃんと呼ばれるのは、そんなに悪い気はしません。

 

コメント

  1. taki より:

    朝顔さん、こんにちは(╹◡╹)
    私の子供の頃は、田舎だから野原で遊んでいましたね。
    なぜか、その頃の遊び友達は女の子だらけ(^_^*)
    おままごと遊び等して遊びました。
    でも、小学生から高校生までは逆に女の子とは、話しもするのが苦手でしたね(〃ω〃)
    仕事中に女性と話す機会が多くなり今は普通に会話出来ますね(*^o^*)
    前は、かなりの人見知りでしたよ\(//∇//)\
    ひとりで部屋に閉じこもるのが最高でした(*^_^*)

  2. 風のジハード より:

    親戚でも 気兼ねなく話せる親族と よそよそしい親族ってありますね。

    小学校の頃、正月などに一泊で遊びに行く中学生のいとこと(♂)とは、ただならぬ仲でした。
    夜 就寝の時間、いとこはコタツのなかでチ〇コを触ってきては、もぞもぞと指を動かします。
    そして「気持ちいいだろう」と言うのです。
    俺は勃起しながら「うん」と答え、真っ暗な部屋の中で、俺も いとこの固く熱くなったチ〇コを、触り返していた時期がありました。。
    そんな男の子同士の たわいもない遊びも2~3年続きましたが、いつの間にか無くなりました。

    もう30年以上 会っていません。今 会えばよそよそしくなる事 請け合いです!

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