2019.6.27更新終了しました。
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限られた思い出

このブログの記事について、「よく覚えていますね」と言われることがあります。

たしかに、自分でもそう思います。

でもよくよく考えてみたら、今このブログで公開済の記事は178記事しかありません。(この記事が179記事目)

 

このうち「思い出」というカテゴリーに分類している記事は、たったの53記事だけ。

もっとあると思っていましたが、案外少ないです。

年末まで更新を続けたとしても、100記事以内におさまるでしょう。

約一年間で100のエピソードか…と考えると、やっぱりそう多くはないように思えました。

 

私がよく覚えているのは小学校三年生までの出来事で、それ以降は現在に至るまで、ハッキリと覚えているエピソードは少ないです。

小学校三年生といえば、9歳くらいですよね。

私の記憶は3歳のころからはじまっていると思っているので、記憶が濃い時間は約7年間。

関連:一番古い記憶

 

7年×365日=2,555日間

すべての日のエピソードを思い出すのはもちろん無理ですが、一日に複数の印象的な出来事が起こった日もあるでしょうし、時間をかければ1,000エピソードくらいは辿れるのでは?

たとえばその半分だとしても、500のエピソードです。

 

仮に今年100のエピソードを書くとして、500のエピソードを書き終わるのは四年後。

実際には今と同じようなかたちで四年後も記事を書いているとは思いませんが、500のエピソードを書き終えたら、いったいどんな気持ちになるのだろうと考えてしまいました。

 

「子供」とは、何歳までを指すのでしょうね。

やっぱり18歳でしょうか。

今の年齢から若者を見たときに、18歳と聞くと、口には出しませんが「たしかに子供だな」という印象を持ちます。(失礼かもしれませんが)

ただ自分が18歳だったときは、自分を子供とは思っていませんでした。

 

ということは、「子供のころの記憶」として自分の中に収納されているのは、やっぱり先にあげた約7年間の記憶です。

思春期に差し掛かるまえの、身も心も疑いようがなく子供だった時代の記憶です。

 

つまり、「子供のころの記憶」には限りがありますよね。

大人になってからのエピソードや思い出は、その気になれば生きているかぎり増やすことができます。

でも、子供のころの記憶は増えも減りもせず、触れない場所にただ収納されているのだ…というようなことを考えていました。

 

だから人は思い出に惹かれるのでしょうか。

どんなに苦手な人でも、幼少期のエピソードを語る姿には惹かれるものがあります。

それが良い記憶でも悲しい記憶でも、誰しもが限られた数の思い出を持って生きているのだと思えば、またしばらくの間穏やかに暮らせる気がしました。

 

コメント

  1. 雲水 より:

    僕は玉のような子供だったので
    ご近所ではアイドル的な存在でした。

    親がふと気づくと家から抜け出して
    ご近所の縁側でせんべいやお菓子を
    その家のおじいちゃんおばあちゃんと食べているという始末。

    そんな幼少期を過ごしたので
    人を疑わない、典型的な楽天家に
    その後育っていきました。

    おまけに「自分には悪いことは起こらない」という変な思い込みもあり
    その思いが強烈すぎるのか
    悪いことも大して起こらず
    それが先の思い込みをさらに強くするという。。。そんな幼少でした。

    人生って色々ですよね。
    十人十色。

    その彩りがまた美しいのでしょうね。

  2. さとぴょん より:

    子供の頃の思い出に限らず、思い出ってフッとした時に甦ってくるものですよネ。それがいつの頃の思い出かは選べず。思い出せる、思い出に浸れるということは、穏やかな日々、心にゆとりある生活送っている証じゃないでしょうか。

    思いでは、辛い、悲しい、楽しかったことを懐かしく思うことによって生まれ今現在のあさがおさんは、小学校三年生までが懐かしく印象深く思っているのではないでしょうか。これが、年を取るにつれて引き上げられてくると思います。また、子供の頃の記憶も些細なものは、消え行く可能性だってあると思います。思い出って生きている毎日の出来事が記憶に残りその積み重ねです。
    今こうしてブログで記事書いていた頃も、いつかは懐かしく「バカなコメント入れてたオッサンいたなぁ」と記憶に残り思い出になることでしょう。
    だから、思い出に子供、大人の区別なく限りはないと思います。ただ、文章、話題表現の為には使いますが…。

    ひとの思い出話聞くときは、その人の人生みるようなものですからね。同じ人生歩むなんてあり得ない。自分と違った人生歩んだ思い出話には興味持ち、惹かれるのではないでしょうか。

    俺が、あさがおさんに興味を持ったのは、全てをさらけ出しわかりやすかったこともありますが、それ以上にあまりにも似た性格からで、年齢、性別、人生も全く違う。ブログの記事を読み、更にあなたに惹かれ、今では、ここでは書けませんが特別な存在になってます。

  3. だいすけ より:

    自分のアタマの中に 思い出として残っている記憶は ごく小さい頃
    祖母と母にたらい桶でお風呂に入れてもらったことから つい先日
    友人を通院介助に連れて行ったことまで 期間としては幅広いのですが
    この頃の記憶は濃厚に残っている という期間がありません あさがお
    さんが 深く狭く思い出の引き出しがあるとすれば 自分はその真逆に
    あるのだと思います 自分の場合 これから先経年を重ねて行くと
    ともに それだけ思い出の数は増えていくように思われますが しかし
    脳の記憶できるキャパが限られているとすると だんだん忘れていって
    いまう思い出たちも増えていくのでしょう 今でも忘れてしまった
    思い出たちというのはあると思います それはきっと 自分の尺度で
    必要な記憶と不必要な記憶を ココロが取捨選択しているのだと思います

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