2019.6.27更新終了しました。
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本当は嫌い?認められないコーヒー問題

私の両親は、コーヒーが好きでした。

祖父母も、かつての友達も、会社の同僚も、みんなコーヒーが好きだと言います。

私はきっとこれからも、コーヒー好きな人たちと彼らから香るかすかなコーヒーの匂いの中で生きていくのだと思います。

 

当然私も、コーヒーが好きだと思っていました。

「私はコーヒーが好きである」という事実を疑ったことなどありませんでした。

 

ただ別に、まわりの人たちのように毎日飲まなくても平気。

あと、喫茶店やカフェが苦手。

 

正直、家で飲む麦茶の方が好き。

 

あれ…?そういえば、最後にコーヒーを飲んだのはいつだったろう?

もう思い出せないほど、随分長い間コーヒーを飲んでいないことに気が付きました。

 

実は、好きじゃないんだと思います。

「飲む機会がないから飲まなかった」と思っていましたが、果たして本当にそうか…?よくよく考えてみれば、疑問が残ります。

 

本当は、コーヒーを避けていたんじゃない…?

思い返してみれば、コーヒーを口に入れて飲み下すときにはいつも身構えていたような…?

 

麦茶を飲むときのようにリラックスできなかったのは、どうして…?

 

「本当は好きじゃないから」ではないのか。

 

でも、ただ単純に「コーヒーが嫌い」で片付けるのは、どうにも納得がいきません。

認められないのか、認めたくないのか。

 

積極的に飲まないだけで、飲めるし…

今までも、(一見)普通に飲んできたし…

 

受験生のときに深夜に飲んだコーヒーも、昔の恋人と通った喫茶店で飲んでいたコーヒーも、私は自分を偽って飲んでいたの…?

そんな…まさか…

 

そして、最近のこと。

「カフェインレスコーヒー」を買ってみました。

 

カフェインといえばコーヒーの要…

それがほとんど抜かれているのなら、コーヒーが苦手かもしれない私でもグイグイ飲めちゃうんじゃない!?と思ったんです。

 

でも結局、普通のコーヒーとの違いはよくわかりません。

たぶん、「角」がない感じ…?たぶん…

 

コーヒーが苦手でも誰も私を責めたりはしないし、無理にコーヒーを勧めてくる人もいません。

 

それなのに、私は一体なにと戦っているのか。

なぜ頑なにコーヒー好きな自分でいようとして、カフェインレスコーヒーまで買ってしまったのか。

 

でっぷりした変な形のマグカップで、カフェインレスコーヒーを毎晩一杯ずつ消費する日々。

飲み下すときは身構えて、しかめっ面で。

 

なにやってるんだろう…と自分にあきれながら、まだ気付いていないだけで他にもあるはずの「本当は好きじゃないもの」たちに思いを馳せています。

 

コメント

  1. ゆき より:

    戦っている相手は、とりあえずコーヒーではないですね(笑)
    「コーヒーが好きな過去の自分」と
    「コーヒーが好きな過去の自分を否定する現在の自分」のせめぎあい。
    つまりは自分との戦い。
    終わりなき戦いのような気がしますよ。

    • あさがお あさがお より:

      ゆきさん
      自分が何者かって、自分が決めているんですよね。
      この記事のあとノンカフェインコーヒーがなくなってしまうのが悲しくなって、
      あと一回分だけ残った瓶が冷蔵庫に座っています。
      これがなくなると、「コーヒーは好きじゃない」と認めることになる気がしています。

  2. Gin より:

    汗をかいた日の夕方のビール、春先の苦味のある山菜、旬の生もの、、
    あるタイミング、その時に特に美味しいもの。身体が求めるもの。いつもいつも好きじゃないけど好き。
    人によってはコーヒー(カフェイン)もそうなのかも。

    あるいは体液も?
    汗とか、とか、とか。

  3. tatiana-🐯 より:

    私もコーヒーは余り好きじゃない!特にブラック苦いだけの飲み物、缶コーヒーは微糖
    ブレンドはミルク入りが支流でしたが、ここ数年前から缶コーヒーのジョージアブラックを飲んだ時さほど苦味を感じなかったなぁ

    母が施設で亡くなって司法解剖のため総合病院で深夜2時頃まで家族と親戚で処置待をしてた時、間違ってブラックのコーヒーを押してしまい飲んだ思い出です。

    その時は自分なかのブラックコーヒーのこだわりとかがoffになってたのかな…..

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