2019.6.27更新終了しました。
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卒業アルバム

卒業アルバムは全部捨ててしまいました。

私は地味で目立たない存在でしたが、かといって嫌な思い出があるわけではなく、平和な学生生活だったと思います。

それなのに卒業アルバムをすっかり捨ててしまったのは、単純にもう見返すことがないと思ったからです。

 

見れば、懐かしいな~と思うでしょうね。

ただなんとなく、学生時代を振り返って懐かしい記憶の湖に身を沈める、それを私から進んではしない気がする…そういう確信がありました。

自分の中に収納された記憶を手繰り寄せることはあっても、卒業アルバムという物質に手を伸ばすことはないだろうと思ったんですね。

 

かなり早い段階で捨ててしまったので、”ない”を前提に暮らしているせいかもしれませんが、おそらく私の確信は合っていました。(今のところ)

たまに自分事としてのエピソードを思い出したら舞台が学校だった、同じクラスの子が出てきた、ということはあります。

でもそれはたまたまで、仮に卒業アルバムが手元にあったとしても、記憶の再確認ともいえる作業はしないような気がします。(確かめようがありませんが)

 

見ないなら見ないで良いとして、なにも捨てなくても良いじゃないか。

そう言われたことがあって、たしかにそうだと思いました。

 

私はたぶん、大人になる覚悟をする必要があったのだと思います。

「子供である自分」というラベルはすべての物事のベースでもあり、なによりも私自身がずっと子供でいたいと思っていました。

大人になって、父や母のように難しいことをこなして、30歳、40歳…変化してゆく自分がまったく想像できませんでした。

関連:変わりゆくもの

 

今後学生として生きた年数よりも、大人として、社会人として生きる年数の方が長くなってしまうという事実に降参し、受け入れてしまおう。

はっきりとそう思ったわけではありませんが、今振り返れば、「卒業アルバムを捨てる」という行動を起こすことによって決意したかったのかもしれません。

 

過ぎたら過ぎた、消えたら消えたで良い。

わざわざ過去の時間を引っ張り出してきたって、私たちには今と明日しかないんだから。

他でもなく自分自身に言い聞かせて今日も黙々と働くのは、子供として生きた時間が良いものであったという証明でもあると思います。

 

強い大人でいなければ。

その思いを上手に剥がせたとき、はじめて本物の大人になれるのかもしれませんね。

 

コメント

  1. ルネ より:

    こんにちは。
    あさがおさんにとってアルバムを捨てることは、仮面ライダーがベルトを手に入れることと同じく、変身への準備と覚悟を決めるということなんですね。ぼくは逆に、そこに思い出があるから大人になっていけるんだ、と思いますね~。
    それにしても、アルバムだけじゃなくて子どもの頃のおもちゃとか、極論を言うとおやごさんは捨てなくていいんですか(冗談です!)?

  2. ゆき より:

    こんにちは、あさがおさん。

    今回の記事、カッコいいですよ!
    ここでは、そんなあなたをどんどん出してください。
    ちなみに自分は燃やしました、卒アルは全て。

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